ロビンソン・クルーソー、エルンスト・ユンガー、グラストンベリー・ロマンス
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さて『ロビンソン漂流記』であるが、今47ページ、吉田健一氏のおちついた訳(新潮文庫)である。ロビンソンはブラジルの農園事業がうまくいきかけていたのを又もや放り出して、航海に出る。目的は何と奴隷の買い入れ、目的地はアフリカである。『世界の書物』(紀田順一郎、朝日文庫)によれば、この本の初版は1719年。主な読者は英国の中流階級だろうが、当時の彼らにとっては奴隷を買いにアフリカに行くということは道徳的になんら非難すべきことではなかったのだろう。
『世界の書物』ではこの本の人気の理由を次のように分析している、「18世紀初頭、新興ブルジョワジー台頭記の英国社会にとって、ロビンソンのたくましい生活力と現実主義、創造力は、一つの理想像であった。スコットランドと合同して、大英帝国が成立してからまだ10年余、多くの冒険的投機商人は富みを求めて海外に進出し、すでにニューコメンは大気圧蒸気機関を発明して、産業革命への道を開きつつあった。このような発展欲が社会を支配しているとき、ロビンソンのような楽天的現実主義者が社会のヒーローたりえたのは、当然すぎるほど当然なのである。」(p181)
たしかにこれはこのとおりだろうが、それよりも私には、著者のデフォーが読者たち、つまり冒険に出かける勇気のない大半の英国人の気持ちを逆なでしないように、しきりとロビンソンの口から冒険生活を航海するせりふを吐かせていることの方がおもしろく感じられる。
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「Storm of Steel」。若きユンガーはついに前線に達し、仏軍が掘った塹壕に入る。疲れて眠り、悪臭で目覚めると、近くに仏軍兵士の死体が木に寄りかかって坐っている。眼窩は空洞となり、髪の毛は少ししか残っていない。よくみれば死体はそこここに、死んだときの姿勢のまま打ち捨てられており、中にはポケットが裏返され、空の財布がそばに残っているのもある。どうやら仏軍は、撤退するまでの数週間、戦友の死体を生めることもしなかったらしい。
これはちょっと読んでいてショックだった。私は、兵士というものは以下に激しい戦闘の最中でも、戦友の死体は埋葬するものと思っていたからだ。
よく思い出してみると、アフリカの内戦などでは死体がころがっていたようだ。私の印象は映画やテレビの影響かもしれない。
「A Glastonbury Romance」の方は今12月10日の夜で、眠っているPhillip Crow、John Crow、Tom Barter、Dave Spencerなどの魂が、聖杯(Grail)を殺そうと、昼間の敵対関係を忘れて一体になるというところで、強風にちぎられた蜘蛛が今はこの星座、次はあの星座という風に星々をかくしては又吹き去る。魂の集団はその下、Glastonburyの岡々の上空のどこかに漂っているのだ。聖杯はAbsoluteの一部だから、そもそも殺すことはできないが、大きな打撃を与えることはできる、という著者の記述は、かつて私が夢に見た宇宙生物と似る。この侵略者は不死身だが、大きな打撃を受けるとしばらくは立ち直れないのである。しかも特定の形がない、というところも、Powysがここでいう聖杯のイメージに合っている。時間と空間を越え、Powysと私の魂の間にも何らかの連絡があるのだろうか。
この本は登場人物が多いので、前に出てきた人が再び出てきても、もうどんな人物だったか憶えていなかったりするのだが、何回も出てくるうちに次第に見当がついてきた。
まず老Crow。この人が死んだところから話が始まるのだが、Elizabeth Crowの父、Phillip、John、Maryの祖父である。老Crowの遺産が殆ど全部説教師兼秘書のJohn Geardに遺されたところから話が展開していく。ところで話の始まりは確か3月ごろで、今750ページ近くまで来て12月10日だから、最後まで読むとちょうど一年分ということになるのかな。
メイドがたくさんでてくる。Tossy SticklesはElizabethのメイド。Sally Jones はGeard家のメイド。EmmaはPhillip Crowの家のメイド。Euphemia Drewという老婦人はおそろしく由緒のある屋敷に住み、MaryのほかにLilyとLourieの姉妹がメイドとして一緒に住んでいる。Maryは最近、Johnと結婚して屋敷の外に移り住んだが、そのときのEuphemiaの狂乱で、彼女がMaryに恋していることが判明する。
ロビンソンはやはり難破。大波の中を必死で岸に泳ぎつく。生き残りは彼一人。沖には砂州に乗り上げた船が見える。多分船から工具などを引き上げて、これからの長い無人島生活に備えるのだろう。遠浅の海岸で何度も波に追いつかれ、飲み込まれながらも岸に向かってあがき続ける。ついに上陸できた喜びを、死刑囚が執行直前に許されたような、と表現している。
ところで、こうやって内容を思い出して書くのと、本を見て引用するのとは感じが違う。例えば940226に紀田氏が18世紀前半の英国の雰囲気をロビンソン・クルーソーの人気の理由として挙げた文章を引用したが、それまでの私の思考の流れとは異質で、浮き上がって見える。そうかといって思い出して書くほうがいつもいいとも限らない。自分の慣れすぎた思考の線から外れることができなくなるような気がする。
『Confessions of Two Brothers』はついにJ.C. Powysの行動嫌いがもろに宣言されている。「(拙訳)私は生来はでな行動を嫌う。実際のところ、はでであろうとなかろうと、全ての行動を私は嫌う。」(p66)そしてこの後で、自分は暖かい潮溜まりのそこで陽光を浴びて浮遊する虹色のくらげになりたい、というのである。
p65には、自分は楽しみ(pleasure)を追及するエゴイストであるが、他人のライフ・イリュージョンの邪魔もできるだけしたくないので、大分不都合な目にも会う、と書いている。たとえば退屈な人と付き合う羽目になったとき、ハイサヨナラと逃げることが自分にはできない、というのである。これは必ずしも良心のためというより、自分も不快な衝撃を極端に嫌うため、という。
ここで注目すべきところは「自分は面の皮が厚くて人の気持ちなど全然気にせずに我意を通す人々のことをうらやましく思いかけることがあるが、実際にはうらやむことなどない、何故なら、彼らはその無神経さのために、自分のようなexquisiteな感じ方ができないだろうからである」といった発言である。
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ロビンソンは案の定、船から大量の物資を引き上げ、恐ろしく頑丈な砦みたいな住居を作り始めた。あっ、これはフロンティアだな、と思った。私の勘では、デフォーが取材した船乗りはこんなに資材にめぐまれてはいなかっただろうし、こんな立派な住居を建てはしなかったと思う。ロビンソンのこの生活はむしろアメリカの西部の開拓者たちのものだ。そして、開拓者たちの生活がしばしば喧伝されるような苦しみに満ちたものでなく、けっこう楽なところもあったことが、ロビンソンの生活からもしのばれる。早い話、木材にしろ、鳥獣にしろ、島の何もかもが彼の所有物であり、彼は隣人との争いとか、社会の規制とかを顧慮する必要がまったくないのである。
18世紀のイギリスの中流階級から見れば、ロビンソンの無人島は一種のユートピアではないか。又、産業革命の思想的駆動力であるデカルト哲学を純粋に推進できる場所でもある。めんどうな「他我」というものが存在せず、島全体が彼に奉仕するmaterialなのだから。
『Confession・・』。要するにPowysは人に不快なショックを与えるような発言ができないのである。これは徒然草で東人が京の人々について「口先だけよくて、実がない」と非難し、兼好が「いや京の人は気がやさしくて相手をがっかりさせるようなことが言えないんだ。」と弁護するあの感じだ。義父はこの反対の極にある人で、人の気を悪くすることが言えないなんてのはかえって相手に対して友達がいがなく、有害だという。これも十分妥当な意見である。
ところで、私自身はどうかというと、例えば、ついさっき初めての翻訳会社から料金を訊かれ、17セントといおうかと考えたが、つい15セントと言ってしまった。別に今新しい取引先が欲しいわけでもないので、少し高く行っておいてもいいのだが、17という数字が口に出しにくかった。これはPowys的か。しかし、私は話の流れ次第では相手にショックを与えるようなことも言う。ただ、そうした場合はどうも相手が何か積極的な行為を選ぼうとしているときに水をかける目的で発言しているので、好意や変化を嫌うという点、やはりPowys的か。
p67では変化一般についての懐疑について語り、p68では具体例として、場所を変えること、つまり旅行と、状況を変えること、つまり自由を求めての革命的行動への懐疑が出て栗。孤独を求める人間嫌いにとって、一人になれる場所を求めて旅行するのは、帰ってより多くの人間、警察官や税関、盗賊なんぞと付き合わされる羽目になるという。又、自由を求めて革命的行動に出ても、結局は新しい形の牢獄に捕らわれるだけではないかと言う。
自由を求めて他人を犠牲にした場合、予期しなかった愛情をその人間に対して抱いてしまい、苦しむことがあるのではないか、などと言っているのは面白い。Powysや私のような人間にとって、意味のある関係は打撃を受けるところから始まるともいえるので、攻撃者に対するある種の愛情が、当然の怒りの下層に隠れているのはむしろ普通なのだ。
『さだまさし 時のほとりで』(新潮文庫)はさだまさしの歌詞と彼のコメントを集めた本で、裏を見ると90年の12月にデンバーの「本屋」で古本として買ったのだけれど、それから3年余りあまり開いてみたこともない。さだまさしの歌が好きでよく聴くからこの本も買っただけだ。ところが、今日初めて解説をひょいとみたら、辻邦生が書いている。私が日本で最も力量のある作家らしい作家であると認める人である。何と彼はさだまさしと中島みゆきが好きだという。私も一時みゆきさんばかり聞いていた時期がある。奇遇。「明治百年でようやくこんな人が生まれる時代になったのか・・・それは日本の歌の中で聞いたことのないような住んだ笑い声であった。」(p253)今夜はこの本の中の歌を明日美と元太に歌ってやった。とても幸せな気持ちで歌えた。
Glastonburyはまだ12月10日の夜。Elphinとかいう少年が、大きな窓から外を見ている。Sam DekkerがNellのところに見舞いに行くといって自分との魚釣の約束を反故にしたので、この少年はNellを呪っているのだ。彼の呪いはGlastonburyの夜の大気の中でPhillipやJohn Crowの聖杯殺しの陰謀にも加担している。Nell Zoylandは結局Samの子を産んだのである。夫のWilliamは子供の父が自分でないことに気付いているのだろうか?
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Glastonburyはまだ12/10の夜(p752辺り)。今度はNancy Stickles。この女性はPowysが『Art of Happiness』で紹介していたテクニックの生まれながらの実践者である。先ずは過去の記憶から楽しい気持ちになれる断片を呼び起こすこと。これは例えば荘厳な夕焼けといったたいそうなものでなくてもいいので、壁に日差しが作る模様とか、そういった些細なものを正確に思い出す、というよりはそのときの自分の感情のあやを再現することなのだ。もう一つのテクニックは『忘れる』ということ。どんないやな経験だって、忘れてしまえばないも同然。Nancyは夫にひどいことを言われて、窓から身を投げたくなっても、その数分後にはお気に入りの椅子に腰掛けて編物に全てを忘れることができる。
ロビンソンは自らの運・不運について神の摂理を考えたり、また忘れてしまったりする。住居の近くに野生にはない稲の苗が生えているのを見て、神の助けと一度は感謝し、次に、にわとりのえさの袋をそこにぶちまけたことを思い出して感謝を引っ込め、その後でまた「いや、ちょうど目の出せるところに米が落ちたのは偶然ではない」と思いなおしたりする。ちょっとおもしろいのは、今までのところ、聖書の章句を引用するということは著者もロビンソンも一度もない。このころの読者にはあまり聖書の知識はなかったのだろうか。ジェームズ王の英語版聖書が出て百年くらい経っているはずだが。
「New Voices」(Marguerite Wilkinson, The Macmillan Company, N.Y. 1922)に20世紀初頭のアメリカにおける詩作の状況について、巨人はいないけれども、たくさんの詩人がいて、全体としては今までにない活況を呈しているとしている。ここで巨人として挙げられているのはホイットマン、ポー、そしてエマーソン。ロバート・フロストは同時代人として挙げられている。Wilkinsonはこの活況の原因として、「アメリカも開拓時代には実学に極端な重要性が与えられたが、いまや美を楽しむゆとりができた」ことを指摘している。
P7では、詩を楽しむために必要な素質として「Sympathy」を挙げていて、そもそもこれがなければ人生の楽しみがわからない(For without this capacity none of us can get much out of life.)とまで言っている。詩というものに基本的によそよそしさを感じる私としてはこの発言は気になる。確かに私は「人の気持ちがわからない(姉曰く)というところがあるらしいので。
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『Confessions ...』P69でPowysは自分には人に好かれたいという気持ちがバカげて強いと告白している。「(拙訳)本当のことを言うと、私は人が私から尊敬されなくても、好感を持って欲しいという不条理な望みを持っている。」尊敬されなくても言いというわけだ。義父はこの反対で、「俺は人にどう思われようともちっともかまわない」とうそぶいている。最もこの「人」はどうでもいい他人のことで、彼は友達に対しては非常に細かいところまで気を配るのである。
しかしPowysのこの好かれたい欲求は多分、彼の家族や友達に限らず、世間一般の人間も含んでいる気がする。
そうして私は自分自身のことを考える。940228の記述と展開が同じだが、つまり人にショックを与えるようなことが言えない、というのと、淡く人に好かれたいというのは同じことが行動と気持ちの両面で表れているという事なのだ。
ロビンソンは何と長持ちの中から聖書を発見する(940301の記述を見よ)。船から運び出すときに放り込んであったのだが、これまで忘れていたのだ。「神よ私をお救いください、そうすればあなたを讃えましょう」とかいう文句に感じ入った彼は、はじめは救われる、というのをこの無人島生活の窮状からの救い、と考えていたのを、次第に自分の罪深さからの救い、というふうに改めるようになる。自信で震え上がったとき、彼は思わず「神よお助けください」と口走ったが、いったんおさまった後感謝をささげることはなかったと反省する。ここで彼は生まれて初めて聖書を読むのだが、実にこの書はロビンソンの改心の書として読むことができる。
ところでロビンソンは長持ちの中に数冊の本を放り込んだというのだが、聖書以外にはどんな本があったのか、興味深い。
『New Voices』はイントロを読んだ。やはり読みやすい。BeautyとPrettinessの違いの説明がおもしろかった。「(拙訳)Prettinessは心地よく、たわいのない、軽い浮気女だ。しかしBeautyは強く、深く、厳粛で、偉大な母性的力だ。」(P8)美は人生を変える力を持っている、とも。早く詩の鑑賞のところまでたどり着きたい。
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『The Violent Eye』(990213を見よ)はまだほんの少ししか読んでないのだが、著者のMarcus Paul Bullockはユンガーの思想を取り上げる理由として、ユンガーがちゃんとした言葉で考えを表明できる数少ない右翼である、という点を上げている。Bullockによれば、右翼の運動は米国内でも強いが、暴力の形で表われることが多く、言葉が貧困であるという。彼は同じ危険を民主主義自体の中にも見ている。この辺、彼がどう展開していたか忘れたが、つまりは「Politically correct」でない発言は全て嘲罵を浴びたり、最近のアメリカの選挙みたいに相手の悪口をあることないこと言い立てて票を稼ごうとする事態を見ていると、Bullockの懸念も想像はつく。引用してみよう、「名目上はより進歩的で、人間的な関心をより表現しているようにみえる政治団体が実のところ人間の持つ可能性に対して非常に破壊的である場合がある。それは、こうした団体も言葉と経験の貧困化に依存しているからである。」(P12)
『ラブクラフト禅宗』(H.P.ラブクラフト、創元推理文庫)の『インスマウスの影』というエピソードを読んでしまった。百ページ以上ある。気の滅入るような形容詞ばかりで描写されるインスマウスの町。P50だけでも荒涼、荒廃、ぐらついている、すっかり壊れて、薄汚い、陰気な、憂鬱、忌まわしくて異常、といった具合。昼食時に読もうとしたらさすがに読さした。しかし、単に陰々滅々でおどろおどろしいだけでなく、終わりの方はオープンエンドで広大な展開の余韻を残している。
人間が水生人に変わっていく、というのは安部公房やうめずかずおにもあった気がする。どうもこの水生人というのは内向的な人間のメタファーであるような気がする。外向型の価値観から見ると不恰好でぎこちなく、表情に乏しいが、内向型は内部に深いもの(時間的な深さと水の深さ)を持っている。そして、自分の水に帰れば、陸上では無様な彼らも優雅に泳げるのである。
『Violent Eye』の言葉の貧困という危惧について。言葉が生の実感とかみ合わないというのはさびしいことだし、盲目的な怒りを蓄積してしまう原因でもある。ここで1980年9月25日にロロ・メイの『わが内なる暴力』から引用した一説を採録しておく(p72)。「コトバに対する深い疑惑と、それが原因でもあり、また結果でもある自分自身及び仲間同士の間柄の貧困化といったものが今日の社会にはびこっている・・・。このアイデンティティ喪失のそこにあるものは、アイデンティティ及びコトバがそこに基礎を置く、シンボルと神話の持つ説得力(Cogency)の失われていることである。」
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『Violent Eye』。Bullockはしきりに「自分はユンガーに加担するものではない」と弁解している。そしてまたこれがえらく読みにくい。煙幕を張っているのかそれともこれがこの人のスタイルなのか。どうやら、ユンガーは間違いを犯したけれども、それは政治的なプロパガンダのためなどではなく、あくまで真実を追究しつつ犯した間違いだから、後から来た我々にとって建設的な意味を持っている、ということを言いたいらしい。また、この正直さとでも言うべき特質について、Bullockはハイデッガーなどの職業的な思想家よりもユンガーのようないわば素人の方が研究の対象としていい、と言い、「(拙訳)ユンガーはためらうことなく職業的な分野の間の境界をよぎり、自分の結論に到達するまでの理屈付けにそれほど頓着しない。しかし彼は自分をそこまで導いた道筋を決して隠そうとはしない。」(P15-16)ここで私は自分もこの特権をユンガーと共有していることをうれしく思う。
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この読書ノートのゼンシンノ日記の80804に、『灰色の石に坐りて』(対談集 辻邦生、中公文庫)の感想があり、そこに昨日引用したロロ・メイに通じる引用があった。「同時代がもっている未知なる部分というものがありますね。それをいかにして本質的な形に、意識されるものに変えるかという仕事---それが文学者の仕事だと思うわけです。」(p49)そういえばトルストイの言葉として、「自分はある一つの感情を表現するために一つの小説を書く」とかいうのがあった。ここでいう「感情」も以前には意識されたことのない感情を意味しているのだろう。
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ロビンソンはしょっちゅう銃で山羊とか鳥とかを撃っているのだが、どんな銃だったのかな? 火薬がいつかなくなる心配はしているが、弾丸のことは何も書いてない筒先から火薬を入れて、その上から石でも詰めて撃ったのかな。(後の方で、島の探検に弾丸も持った行ったとある。)
『Violent Eye』は何故ユンガーを研究対象として選んだかという言い訳がやっと一段落して、この本の目的とユンガーがどうからむのかを説明し始めた(p20)。「本著の底流となる基本的な問いかけは、西欧文学の伝統の現状ということである。」
古代から人類は「represent reality(現実の表現)」という企てを営々と続け、その進歩が頂点に達したのが19世紀、しかしそこでその企ては放棄されてしまう。この歴史的な転換について扱った本としてMimesis(Erich Auerbach)と『Art and Illusions』(E.H. Gombrich)が挙がっている。前者はより一般的、後者は絵画に焦点を絞っているらしい。とにかく、この転換の意味についてユンガーは若いころから考え続け、Bullockもそこに興味を持っている。私もこれはおもしろいと思う。ただし、私の見るところでは19世紀に頂点に達したのは時間と空間の言葉に還元できる類のリアリティであって、それ以後はリアリティのほかの側面への探求が殆ど手探りの状態で始まっているのではなかろうか。
ユンガーはこの転換が一つの文明の終焉を画するのか、それとも一つの運動の中の次の段階への以降なのかを考えているらしい。
ところでP21にはユンガーの生い立ちについておもしろいことが書いてある。子供のとき、ユンガーはまわりの大人のやることが余りにおろかしいので、これはきっと子供の前でふざけているだけで、子供のいないところではもっとまともな生活をしているのだろうと考えた。また、学校では旅行記や冒険記ばかり読んでいて、成績はひどく悪かった。
これを読んでうれしくなった。ユンガーが自分で考えることのできる人間であること、そして私が彼をみつけたということは私も捨てたものではないと思われるから。
私の悲惨な大学院時代にも別の光を当てられるのではないか。つまり、博士論文を目標としていたのなら単なる失敗だが、あの当時、半分意識的に何かほかの事を、いや、科学研究ではあるが、別の意想を私は追及していたのではないか。実験装置に凝り、実験に凝り、最後には文章家に凝って、それぞれの過程で何かを学んだ。だから次へ移行していったのだ。
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ユンガーに対して私はスーパーマンコンプレックスを持っているようだ。『Violent Eye』P22〜P23によると、ユンガーは第一次大戦ですごい勲章をもらい、戦後は右翼雑誌の執筆・編集をしている。『Storm of Steel』で文明も上がった。しかしナチスの台頭と共に隠遁生活に入り、昆虫と庭の手入れに凝った時代がある。
第二次大戦ではCaptainとしてパリ駐留軍の司令官の下についた。このときの日記はおもしろいらしい。パリの文化を存分に楽しみ、芸術家や文人とも交流があった。ピカソやブラックにも会っている。
ユンガーの文体について:「(拙訳)ユンガーの文体を見て直ちに目立つことは、一方で具体的な事実(例えば昆虫学者としての科学的な研究や日記における事象の観察)に極端にこだわりつつ、そうした事実を一般に受け入れられている人間的現実のイメージから遠く離れて矛盾する人生の次元の証拠として解釈しようとする顕著で一貫した傾向が他のどんな著者よりも強いということである。」(p24)
つまりごく普通の具体的な事実を途方もない理論の証拠として使う傾向があるということになる。ここで比較の対象として挙げられている文学者(ジェームズ・ジョイスなど)の中にカフカもいて、彼らの場合、自らの文学を世界のゆがみに合わせて形作ったが、基本的な世界観はそれほど一般の理解から絶していないという。
しかしこのユンガーの途方もない理論、世界観とは一体どんなものなのか。Bullockによればそれは暴力を必須の一部分として取り入れた世界観であるという。しかしそれなら一般に受け入れられた人間的現実のイメージとそれほどかけ離れているとはいえない。
『世界の書物』のロビンソン・クルーソーの項の後半部には、この書が進行の所として広く受け入れられたことなどがちゃんと書いてあった。
ところでロビンソンの方は米と大麦をどんどん作り、土器を焼き、今度は島の他端から見える陸地まで行こうと舟(丸木舟)を作るが、重すぎて海辺まで運べず、挫折する。しかしとにかく生活は安定してきて、「私は現在用い得る凡てのものを持っていたので、何も欲しいと思うものがなかった。私はこの島全体の領主で、この私の領土に対しては、王、あるいは皇帝と称することも私の勝手だった。」(P141)
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ラヴクラフトの2番目の話『壁の中のねずみ』を読んだ。家系への執着、ある種の物理的印象が異世界への橋渡しとなること、はじめ単なる観察者であった私がしばらくもやもやとして状態を経て怪奇現象の具現者と化すること、など、最初の話とパターンが似ている。あのズッコケのピルトダウン人が大真面目に引用されているのはごあいきょう。
『Confessions ...』John(Powys)はしねば何もしなくてもいいから死ぬのはあまりいやでないという。「(拙訳)私は常に行動へとせきたてられる、そして行動は私にとって忌まわしいものなのだ。」(p91)この「行動へとせきたてられる」というのは共感。私なら「行動に引きずり込まれる」というだろう。彼は行為を憎むが変化は必要で、同じ場所に長くいたくない。所有欲はなく、自分の本でさえ憎んでいる。また、近所の人と顔見知りになってあいさつしなきゃならないとかいうのもひどくいやだという。「私は生まれつき放浪者、無政府主義者、そして根無し草なのだ。」(p91)
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感覚を楽しもうとする者にとって、目的をめざした行動はじゃまになる、というテーゼは私とJohnの間で一致しているようだ。「(拙訳)私は感覚を楽しみ、感覚を分析し、そして感覚を言語及び文学的レトリックに翻訳するように生まれついている。」(p101)と宣言する彼は、同様の気質を持つ若い読者に向かって、自分の本性にさからってまで「(拙訳)健康な心をもった、元気で有用な市民」になろうと努力することは得策でないと忠告する。肉体的な運動や規則的な活動によって自らの「軟弱な」感覚性を克服しようとすることは、社会を自然の上に置こうとすることであり、人間を生み出したのは社会ではなく自然なのだということを忘れないように、とさらに説く。
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他人の本を読むのに疲れたので自分の書いたものを読み返している。牛がよくやる版数と言うやつだ。88年に中村真一郎の評論集(5冊)を読み、引用を試みたのが青いスパイラルノートに収められている。自分で書いた感想のところにすごいことが書いてある。「世界は先へ進む。我々がふと宗教的体験に大きな安らぎを見出すとしても、それが我々の進む道であるとは限らない。我々の進む方向を規定しているのは何かしら未知のものであり、それに対して宗教的体験は既知のものである。」(880420の項)
Glastonburyはようやく12月11日の明け方(P778?)になっているが、10日の夜はちょっとこわい展開があった。Red RobinsonがSt. Michael's InnでSally Jones(Geard家のメイド)といちゃついた後、宿の主人がSallyを送っていった。そこへFinn Toller(Codfinともいう)というこそ泥が現れ、Redが演説で「ティランサイド(暴君殺し)」という言葉で暗にPhillip Crowを殺ってしまうようなことを言っていたのを「自分がやる、ピストルは怖いから、鉄の棒で殺ってやる」としきりに口説く。Redはあわてて「あれは言葉のあやで、実際に殺したら犯罪だ。とんでもない」となだめようとする。